高校見聞録(仮)

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感性  

さりげなくリア友にブログ特定されてた。

せみです。



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小説文は好きだ。

小説文が嫌いだ。



高等教育では必ず「国語」は、現代文・古文・漢文の三つを履修する。

そして現代文はさらに小説文や評論文、エッセイなどにカテゴライズされる。



僕は現代文を読むことは好きだ。
考えさせられる小論文は好きだし、一人の人間が垣間見えるエッセイももちろん好きだ。
現代詩とかもとても素敵だと思う。

とくに小説文は、物語性もあって、人間に限らず何かの心理、作者の伝えたいことも書かれていて、大好きだ。


でも、国語の授業やテストにおける小説文は大嫌いだ。

小説文が苦手というわけではない。
テストや模試では小説文は毎回満点に近い点数を出しているし、国語のテストは小説文から真っ先に解きにかかる。別に「苦手だから嫌い」ってわけではない。

何が嫌いかって、選択肢が嫌いなのだ。


「傍線部○において、○○とは何か」なんて問題には本当に吐き気がする。

そもそも小説文というのは筆者が読者に何かメッセージを伝えたいから書いているのに、問題における「意図」は「問題作成者の意図」だ。
よく現代文は「問題作成者の意図を読み取ることが大切だ」なんて言うけれど、
それが何の役に立つのかまったく分からない。
「別にお前がどう思うかなんて聞いてねーよ」ってことだ。


国語の授業って、国語力や読解力はもちろんだけど、感性を養うことも重要なファクターの一つだと思ってる。だけど、一つの文章に対するみんなの考え方なんて違って然るべきだし、それを僕たちは「個性」や「感性」と呼んでいるのではないか。


感性を養うはずの授業で、人の感性に制限をつけるどころか他人の感性を押しつけられ、
これじゃあ「感性豊かな子供」は育たないなぁ、なんて、
問題文の「ア~オの中から一つ選び」なんて言葉を見る度に思う。




だから、全問記述式にしましょう!


なーんて言ったところで、結局採点者はこれまた個人の感性を持った人間で、
もういっそ現代文の授業なんてやめちまえよってまぁそれもそうはいかなくて、



なんだかなぁ。





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category: 日記

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コメント

100000割同意

これほど同意できる記事に出会ったのは初めてです(17歳童貞)

URL | 神風 #03ambbHk
2011/06/13 21:48 | edit

>>神風

大気圧みたいな割合ですね。

URL | せみ #k6nwMOFg
2011/06/14 21:47 | edit

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