高校見聞録(仮)

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言霊  

蛍光灯への反抗期(間接照明への憧れ)

せみです。



20110906.jpg


「愛してる」ということを伝える。




「愛してる」気持ちを「愛してる」と言葉にしてしまう。

「頑張れ」という想いを「頑張れ」と口にしてしまう。



ここ最近、芸術作品でそういうのが増えてきた。

芸術で人に何かを伝える時、それを言葉にして直接伝えてしまうことは簡単だ。
あなたを思う気持ちを歌いたいのならあなたを思っていると言えばいいし、
君の明日を応援していると表したいのなら応援団の絵でも描けばいい。

僕は別に芸術家でも何でもないけれど、こういう作品を見る度にげんなりする。


言葉ではなく、その作品の裏側に込めた思いを、受け手側なりの考え方で解釈して貰って伝えるのが芸術と言うものではないのか。

ハッキリと言葉にして伝えてしまった瞬間、それに重みはない。

それを見て、聴いて、これはこういうことを伝えたいんだなと受け手が感じた瞬間、
そのメッセージは何よりも重い「言葉」になるのではないだろうか。



とはいえ、直接的なメッセージを世間が求めているのも事実で、
そうでなければここ最近のヒットソングがヒットした理由が分からない。

深く考えなくてもすんなりと受け入れられる芸術を世間が欲しているのならば、
それを察知してニーズにあった作品を排出するのも、芸術家のつとめなのか。




なんでこんなことをいきなり言い出したのかというと、
久しぶりに文化祭の時に自分たちが作った劇を見たからだ。

登場人物の心境を、言葉でしか言い表せない作品なんて、なんにも心に響かない。

「好き」と言うのならば、それは本当にハッキリとそのメッセージを伝えたい瞬間に、
友達を思う気持ちは、クライマックスに人物が感情を爆発させた時に。



僕も将来は芸術を通じて飯を食べていこうと考えている身。

今この瞬間感じている表現への追求心(苦笑)を忘れずにいれたらいいなと思います。





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