高校見聞録(仮)

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心鋏  

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 自分のために、誰かが傷ついてしまう恐怖を、齢二桁に達したばかりの幼いぼくは知った。
 自分は悪くないはずなのに、ぼくが悪いのだと思わないと、ぼくの中の螺子が外れてしまいそうな、ぼくの中の白黒が解け合って、上下左右の解らなくなるような、灰色に浸される、あの感覚。


 砂崎由佳は気の強い女の子のようだった。
 ぼくの日々の中に彼女がやってきたのは、ぼくが八歳でスイミングスクールの選手育成コースに編入されてから一ヶ月後のことだった。一つ上の女の子と共に育成コースに加わった由佳は、同い年なのに、ぼくより少し背が高くて髪が短くて、男勝りで聡明で、眼鏡の奥にいつも凛とした眼差しを持っていた。
 近いところから自転車で来ていた由佳を、夜遅くまで練習した後に家まで送り届けるのがぼくの日課だった。
「女の子を守るのが、男の子の役目なのよ」とお母さんに言われていたし、ぼくもそう思っていたから、ぼくは練習の後、必ず由佳と一緒に帰った。
 連絡用の携帯電話を持っていたぼくと由佳は時々メールのやりとりをした。
 ぼくは由佳に、誰よりも親しい感情を抱いていた。由佳がどうだったのかぼくは分からないが、ぼくはきっと由佳が好きだったんだと思う。
 けれど由佳はいつも気が強くて、口より先に手より先に、足が出るような、そんな子だったものだから、ぼくは由佳より弱くなってはいけないんだと、自分に言い聞かせていた。


 ぼくと由佳が出逢ってから一年が経とうとしていた。
 ぼくは相変わらず由佳に自分の想いを打ち明けてはいなかった。所詮小学生だったあのころのぼくは、自分の気持ちを知ってもらうことよりも、由佳と過ごす練習とその帰り道の二時間の方が楽しかった。ぼくと由佳は誰よりも仲良しで、誰よりも身近で、それで良かった。
 ある日、事件が起きた。
 女子更衣室に泥棒が入ったというのだ。それはぼくたちが練習している時間のことで、ぼくたちと同じ選手育成コースの女の子の何人かが下着を盗まれてしまった。
 由佳の下着も盗まれていて、拳を前に出しながら「見つけたら殴ってやる」と怒っていた。そのすぐ後でぼくを見て、少し恥ずかしそうにしながら、そっと耳元で「今ね、ノーパンなの」なんて囁く彼女は悪魔だった。ぼくはどぎまぎしながら、それは大変だね、と笑うことしかできなかった。代えのパンツ忘れた時はノーパンだよ、なんていらないことまで言ってしまって、由佳に蹴られた。
 その二週間後に、犯人は捕まった。
 普段は優しくて穏やかだった、ぼくの以前のコーチが、犯人を引きずり回して投げる姿が印象的だった。見たところ若い男のようで、まだまだ幼かったぼくたちはそれっきりその話題にも飽きてしまって、その犯人がどうなったのかはよく知らない。
 その一ヶ月後、ぼくが十歳になったばかりのある日、ぼくにとって忘れられない事件が起きた。


 その日の練習後もぼくはいつものように着替え終わるまで由佳を待っていた。
 いつもより少し送れて出てきた由佳はぼくを見つけると「ごめんね、少し待ってて」と言ってコーチ室に入っていった。
 少し暗い彼女を不審に思いながらもぼくが待っていると、後から出てきた、由佳と同じ日に育成コースにきた一つ上の女の子が、由佳のバスタオルがハサミで破かれていたことを教えてくれた。ぼくは由佳の暗い表情を思い出してショックを受けた。
 帰り道、由佳はいつも通りの様子で、ぼくといろんなことを話した。
 ぼくはどうしても我慢できずに、バスタオルの件を訊ねると、彼女はいつも通りのあっけらかんとした口調で「あーホント大変だったよ」なんて笑っていた。幼いぼくは、それを見て何の疑いもなく、大丈夫そうだな、と思ってしまった。
 そのさらに一週間後、今度は由佳のジーンズに穴が開けられたという。
 由佳のお母さんが服を持って、彼女を迎えに来た。お母さんの持ってきたズボンを履いて更衣室から出てきた由佳は、また明日ね、とぼくに笑いながら、お母さんと車に乗り込んで帰った。
 砂崎由佳は気の強い女の子だった。
 

 そして、再び一週間後。彼女のバスタオルとジーンズを引き裂いた犯人が見つかった。それは意外にも、ぼくに由佳のバスタオルが破かれていたと教えてくれた一つ上のあの女の子だった。
 いったいどういう経緯で彼女の悪事が発覚したのかはぼくには分からないが、練習の後に女のコーチを交えて、由佳と、その女の子と三人で話し合いが行われた。それは夏もやっと終わりの気配を見せてきたころで、心地良い夜の風の中、ぼくはスイミングスクールの入り口の前でずっと待っていた。お母さんにメールをすると、ちゃんと送って帰ってくるんだよ、と返事が来た。
 それから三十分か、一時間は経ったのだろうか。入り口に由佳と、女の子と、コーチが現れた。自動ドアを抜けたコーチはぼくを見て「まだいたの」と声をかけてきた。「由佳と帰ります」と言うと、コーチは優しく笑ってくれた。隣の由佳は、泣いてはいなかったけれど、疲れ切った顔をしていた。ぼくの知ってる凛々しさは無く、そこには一人の女の子としての由佳が立っていた。
 そこに、例の女の子の母親がやってきた。母親はコーチの元に行くやいなや即座に「こんな時間まで子供達を残らせて、何を考えているんですか!」と叫んだ。コーチは困った顔をしながら「これは大事なことなので」と言ったが、母親はみっともなくわめきちらしていた。
 ぼくはそれを見ているのが酷く辛くて、コーチに挨拶をして由佳に帰ろうと言った。
 駐輪場まで来て、由佳に名前を呼ばれて振り返ると、突然両肩に重みを感じた。彼女は正面からぼくの両肩に手を置いて「ごめん、少し」と小さな声で呟くとそのまま下を向いてしまった。
 肩に載せられた手が重くて、熱くて、彼女の、少女の震える小さな肩を見て、ぼくは動くことが出来なかった。
 やがて少女はぼくの肩から手をおろすと、天を仰いで、鼻から大きく息を吸い込んで、そして少し赤い、けれど凛とした目でぼくを見て、いつものように笑った。そこに立っていたのは、少女ではなく、由佳だった。
 ごめん。
 涙目で笑う彼女から再びその言葉が出た時、ぼくは情けないことに、少し泣いてしまった。
「早く帰ろう」とぼくは彼女に見られないようにすぐに後ろを向いて、自転車の鍵を外しながら言った。
 女の子を守るのが、男の子の役目なのよ。お母さんの言葉を思い出した。


 帰り道、由佳はぼくに今回の事のあらましを話してくれた。
 由佳をいじめていた女の子は、由佳が携帯を持っていたことだの、由佳が男の子と仲良くしていたことだの、すごくどうしようもないことで由佳を妬んでいたという。
 笑っちゃうよね、バカみたい、と由佳は笑って隣のぼくに言った。ぼくは、そんなことを由佳に言っても仕方がないよな、と笑って、けれどその声は風に流されて、飛んでいった。
 ぼくはショックだった。ぼくが由佳と仲良くしていることが、由佳を傷つけてしまったのか。
 相変わらず由佳は、少し目が赤いが、いつも通りの凛々しい顔で、あの三人での話し合いの場で、女の子がいかに理不尽なことを言っていたのかを教えてくれたが、ぼくはあまり覚えていない。
 信号待ちで少しだけ沈黙が続いた。由佳はぼくに、あの女の子はぼくのことを好きなんだと思う、と教えてくれた。
 きっかけは由佳とその女の子の交換日記だった。ぼくのことを「好きなの」と訊ねた由佳と、ぼくのことが「好きなの」と告白されたように感じた女の子との誤解が、この事件を招いたのかもしれないと。
「でもぼくが好きなのは」
 そう言おうと、喉元まで出た言葉を、ぼくは抑えた。
 これを教えてくれた由佳の真意は、やっぱりぼくには分からなかったけれど、あの少し暗い、らしくない由佳の悲しい顔が、少なからずぼくにも関係していたのかと思うと、ぼくは何も言えなかった。
 ぼくが由佳を好きだったせいで、由佳は傷ついた。
 それは、幼いぼくの中で確かな黒い陰となって、ぼくの心に残った。引き裂かれたバスタオルと、穴の空いた由佳のお気に入りのジーンズがもう戻らないように。
 そんなぼくの気持ちを知ってか知らずか、由佳は別れる間際にもう一度「ごめん」と言った。その後ですぐに「ありがとう」と少し微笑んで言った。そこにはいつもの気丈な由佳と少女の由佳が両方混ざっていて、ぼくはゆっくりと頷くと、帰路についた。
 砂崎由佳は、気の強い女の子だ。
 ぼくはその夜、布団の中で少しだけ泣いて、眠った。
 


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