高校見聞録(仮)

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虹求  

虹をもとめて


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「有意義だなあ」
 何かあるたびに、彼女は決まってこう言った。
 あの日は、虹を見た。晴れ渡る空が気まぐれに雨を降らし、気まぐれに橋を架けた。
「虹ごときで、大袈裟だな」と僕は言った。
「虹を笑う者は虹に泣くよ」彼女は答えた。
「虹じゃなくて、君を笑っているんだよ」
「じゃあ私に泣くね」
 彼女は僕の方など見向きもせず、携帯電話で虹を撮っていた。そして、とても幸せそうな顔で、それを待ち受け画面に設定していた。数日後、彼女がトラックに轢かれる、その日まで。


 夜に電話を受けて病院に駆けつけた時、彼女はすでに白い衣装に身を包み、ベッドの上で静かに横たわっていた。とても綺麗な顔をしていた。それは数時間前に電車の中から笑顔で僕に手を振った彼女で、今にも目を開けて起きあがり、「トラックに轢かれるなんて、有意義な体験だなあ」と、いつもの調子で言い出しそうであった。僕は彼女の白い頬に触れようとして、手を伸ばしかけて、やめた。
 そこへ彼女の父親がやってきて、僕は軽く頭を下げた。彼女とはお互い気持ちを確認し合ったわけでもないし、彼女の父親にも、彼女の家に行った時に「お邪魔しています」と何度か挨拶をしたことがあるだけだったが、僕と彼女の関係についてはそれなりに察していたようで、彼女の父親は僕を見て、一度だけ頷いた。瞳の奥には、深い悲しみと、僕への感謝の気持ちが見えた。
 僕は、再び彼女を見て、そして「今日はもう帰ります」と、数日ぶりに絞り出したかのような声で告げて、病院をあとにした。
 そこからどうやって家に帰ったのかも、何をしていたのかも覚えていないが、気がついたら朝が来ていた。今日が平日なのか休日なのかも思い出せなくてカレンダーを見たけれど、結局今日が何日なのかも分からなくて、諦めた。母親はそんな僕を気遣って、朝食を部屋に持ってきてくれた。
 学校には連絡を入れておいたから、今日は休みなさい。
 そう言われて、そうか、今日は平日だったのかと、やっとそれだけ理解した。
 一人っきりの部屋の中で、僕は何も感じなかった。何を見ても何も思わないし、何を食べても味がしない。死とは何なのか。僕は今生きているけれど、この何も感じないという状態が生であるのなら、死もまたそう違わない気がした。それならいっそ、死んでしまっても構わないような気がした。そもそも、本当に彼女は死んだのか。そういえば、待ち合わせの時間を大幅に過ぎてしまっている。駅のホームで、彼女は僕を待っている。けれど僕は動けなかった。
 あの電話を受けた瞬間から、僕の世界は変わってしまった。時間は飛ぶように流れていく。僕はただ一人、濁流の中に取り残されてしまった。



 僕は葬式に参列していた。着慣れた制服で、慣れない場にいることによる違和感に、終始微妙な吐き気を感じた。もはや非現実に生きているとしか思えなかった。
 焼香をひとつまみだけとって、手を合わせた。
 目を瞑って彼女の顔を思い出そうとしたが、浮かんでくるのは、あの病室で見た何も言わない彼女の姿だけだった。そうしているうちに、なんだか自分が酷く場違いに思えてきて、出棺が始まる前に僕は葬式場を出た。空は少し曇っていて、これじゃあ雨が降っても虹は見れないな、と思った。


 その翌日、僕は五日ぶりに登校した。駅のホームに彼女は、いなかった。
 クラスメートは、僕を気遣ってか、いつもの調子で挨拶をしてきた。僕も普段通りに挨拶を返した。何も変わらない教室の喧噪。笑い声。さすがに一週間も経てば元通りになるのは当たり前で、みんながクラスにあいた穴を確かに感じながらも、気持ちの整理を付けた様子が見て取れた。彼女の机は、まだ同じ場所に置いてあった。僕はそれを見て少しホッとした。
 チャイムが鳴り、朝のホームルームが始まる。テンポよく取られる出席確認。名前を呼ばれるたびに、違う声が、違うトーンで、教室内に響く。彼女の名前は、呼ばれなかった。
 出席確認が終わると、先生は連絡事項を話し始める。けれど僕はもう何も聞こえていなかった。彼女の名前が呼ばれなかったというその事実だけが、僕の頭を埋め尽くしていた。
 死んだのだから。名前が呼ばれないのは当たり前だ。彼女という存在は、もうこの世から消えてしまっているのだから。僕が生きているこの世界は非現実などではなく、紛れもなく現実だった。
 僕はそんな当たり前のことに今更気付く。自分の胸の奥底に潜んでいた悲しいという感情がじわじわと溢れ出す。
 駅のホームに、もう彼女は来ない。
 帰りの電車に、もう彼女はいない。
 空いた机には、もう誰も座らない。
 そして何より、この悲しいという感情は、もう彼女には伝えられない。
 僕は急に喉の奥からせり上がってくる何かを感じて、教室を抜け出した。
 必死の思いで体育館の裏に行った。少し湿った土の上に座り込むと、ついに堪えきれなくなって、喉の奥からせり上がってくる嗚咽に身を任せた。一度流れ出してしまうと、止めることが出来ない。こんな風に泣いたのはいつぶりなのだろう。いつか虹を見たあの日、「じゃあ私に泣くね」と言っていた彼女の涼しげな横顔を思い出す。
 僕は今、君に泣いているんだよ。
 君の言ったとおりになったよ。
 それを伝える相手は、もういない。意味のない会話も、くだらないことで笑い合うことも、怒って拗ねた彼女をなだめることも、彼女に好きだと伝えることも、もうできない。
 生きていて欲しかった。だから死んで欲しくなかった。死んだと思いたくなかった。
 死ぬというのは、伝えられなくなることなんだ。これからこの先どんな出来事があっても、どんな気持ちになっても、それを彼女に言うことは出来ない。彼女の存在の消失は、僕の未来の出来事の消失でもあった。
 一体どれだけそうしていたのだろうか。やっと身体の中から流れ出るものが収まった時、太陽はだいぶ高くなっていた。雲一つない青空は広く、僕の中に染み渡っていくようだった。そうか、僕はまだ生きている。僕はまだ誰かに何かを伝えられるし、誰かが僕に何かを伝えることも出来る。
 彼女の姿を再び思い浮かべると、それは病室で横たわっていた彼女ではなく、僕の隣で生きていた彼女だった。
 青空を眺めながら、そうだ、と思った。そうだ、虹を探そう。明日も、明後日も。虹をもとめて、写真に撮ろう。そう思うと、なんだか不思議と満たされた気分になった。そうか、これがそういうことなのか。僕は虹のない青空の向こうに、彼女の姿を思って、呟いた。
「有意義だなあ」




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